スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

火穴古墳 浜松市の古墳 12-3

  • 2012/04/13 09:00
  • Category: 古墳
IMG_7056.jpg

IMG_7060.jpg

IMG_7063.jpg

IMG_7070.jpg



浜松市西区深萩町にある火穴古墳です。

桜が満開の時に訪れることができました。






にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキングへ

引佐町古墳解明の歴史  浜松市の古墳シリーズ

  • 2012/03/24 18:02
  • Category: 古墳
DSC_0156.jpg





静岡県浜松市北区引佐町には多くの古墳があります。

それらの古墳は調査を受けた古墳が多く、古墳時代に存在した首長の系譜が明らかになっています。

それは引佐町、歴文会、地元有志、学者などの努力の賜物です。

同志社大学の辰巳和弘さんの著作「聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡」には引佐町の古墳調査解明の道程が記録されています。

この本を読んで私は感動を感ぜずにはいられませんでした。


引佐町の古墳解明の歴史を、この本を元にレポートしたいと思います。






明治初期
この時期に書かれた文書に城山古墳群の記述がある。


明治中ごろ
牧師であり考古学者でもある土屋彦六さんが引佐町を訪れる。土屋彦六さんは浜松市にある縄文時代の蜆塚遺跡採集品を「東京人類学雑誌」に報告している。
月岡準三さんも引佐町に来ている。


1934年
馬場平古墳が乱掘を受ける。この時、馬場平3号墳の大部分が削土され消滅。出土遺物は個人蔵となる。


戦後、蜆塚遺跡の発掘調査を行っていた後藤守一さんのもとに馬場平古墳出土品が持ち込まれる。


1959年
内藤晃さんにより「静岡県の歴史」に馬場平古墳が紹介される。


1967年
馬場平古墳出土品の大半が県指定有形文化財に指定される。


1974年
「引佐町歴史と文化を守る会(歴文会)」発足。


1977年
町史編纂室設置。


1979年
「考古学から見た郷土史講座」開催。講師、辰巳和弘さん。

当時、静岡県教育委員会文化課に勤務しておられた辰巳和弘さんが講師を引き受けられた理由をこのように本の中にこのように記されています。
「(引佐町の多くの文化財を例にあげ)文化遺産の多彩さは周辺の市町村に劣ることはない。地域史への関心はさぞ高いものと予想できた。そうした引佐町からの要請なら、考古学の面白さや遺跡に関する話の中から文化財保護の大切さをPRすることも有効だろう。依頼を受けることにした。」
ここから本格的な引佐町の古墳の解明が始まりました。
講座は寒い中いつも70人をこえる町民の姿があったそうです。
そこから古墳発見が相次ぎます。

北岡大塚古墳、北岡1号墳発見。
北岡2号墳、北岡3号墳発見。
一ノ沢古墳群発見。
白山古墳群発見。
この間のことを「夢を見ているような二か月だった。」と辰巳和弘さんは記されています。

年末、北岡2号墳発掘調査。
谷津古墳、確認。


1980年
北岡大塚古墳が前方後方墳であることを確認。
細江町、陣座ヶ谷古墳測量調査。


1981年
馬場平古墳、墳丘測量。
馬場平3号墳、残存墳丘測量。


1982年
馬場平古墳、粘土槨発掘。
馬場平古墳群出土遺物調査。
一ノ沢古墳群、測量。
北岡1号墳、測量。
藤本浩一著「磐座紀行」に渭伊神社の巨岩(天白磐座遺跡)記載。


1983年
「引佐町の古墳文化Ⅲ」発行。


1985年
地元有志と歴文会による磐座まつりはじまる。


1987年
谷津古墳、測量。
白山古墳群、測量。
白山1号墳、発掘。
引佐町遺跡分布調査。
城山古墳群、確認。


1988年
天白磐座遺跡発見
10カ所近い巨岩と周辺一帯を踏査。


1989年
天白磐座遺跡、発掘。
3月4日。天白磐座遺跡発見に関する記者発表
3月5日。「古代 井の国 の王者とまつり」講演会開催。


1991年
城山古墳群2号墳。発掘。


1995年
北岡大塚古墳、調査。




地元町民、地元自治体、その他の協力者の思いが一つになって成し遂げられた大仕事の歴史です。

1979年の北岡大塚古墳発見まで、引佐町の古墳は馬場平古墳しか知られていなかったそうです。

それが現在では多くの古墳時代の遺跡や古墳が発掘調査され、引佐町の古墳時代の姿がかなり明らかにされています。

文化財保護、文化財調査のひとつのモデルケースになるのではないでしょうか。

そんな地域が私の地元にあることをうれしく思います。








にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキングへ

東三河前期古墳探訪

  • 2012/03/22 08:23
  • Category: 古墳
古墳 豊橋市 画像
同一縮尺による豊橋の古墳
左から市杵島神社古墳、茶臼山1号墳、北長尾8号墳。



今回の東三河前期古墳探訪は終わりました。
1カ月の間に6回も豊橋市に通うことになってしまいました。

こんなことになった原因はすべて「なめていた」ことにあります。

もっと簡単に見つかるところばかりだと思っていたら完全に予想が外れましたね。


一基ずつ簡単に説明しますと


勝山1号墳は資料さえあれば比較的簡単に行けると思います。

茶臼山1号墳は資料が無ければ行くことはできないでしょう。高所恐怖症の方にはおすすめできません。

北長尾8号墳も資料必携です。資料があってもどう行けばいいかわからないかもしれません。私はたまたま尾根にそって獣道みたいな道を発見したので行くことができました。

向山1号墳も資料必携。下から祠へ上がってくる細い道があったのでその道から行けるのかもしれませんが。

権現山2号墳はタンクの左側を行けばいいのですが、説明板があるところまで現在は藪の中を進んでいかねばいけません。資料必携。

権現山1号墳は2号墳から更に藪の中を行かなければいけません。途中心細くなるのでやはり資料必携。

市杵島神社古墳は市街地の中の神社にあるので簡単に行けるとは思いますが、現地ではまったく古墳ということがわからず説明板も無いので、行く前に資料を読んでいった方が古墳気分を味わえて良いと思います。

断上山10号墳は学校と神社の裏山にありわかりやすいと思います。


こんなにわかりにくいとは知らず初めは資料無しで行ったので見つかるわけがありませんよね。

なんとか全部行くことができてよかったです。

他に口明塚古墳という前方後方墳があったそうですが消滅したそうです。

地元の方にもその話を聞きました。

口明塚古墳については資料を見つけることができませんでした。



これらの古墳は出土遺物がほとんど無く時代編年が難しいようです。

豊橋市が発行した「とよはしの歴史」には前方部の形状から予想した編年が書かれていました。

古い順に
1、 勝山1号墳
2、 北長尾8号墳
3、 市杵島神社古墳
4、 茶臼山1号墳
5、 権現山1号墳
とありました。

出土遺物から見ると
1、市杵島神社古墳
2、権現山2号墳
3、権現山1号墳
とここまではわかっているようです。

他の古墳もぜひ調査してもらいたいものです。

東三河は後期古墳の馬越長火塚古墳の発掘で大きな成果をあげましたが、前期古墳の発掘と解明も期待したいですね。






にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキングへ


断上山10号墳 新城市の古墳1

  • 2012/03/13 17:41
  • Category: 古墳
IMG_4946.jpg

IMG_4952.jpg

IMG_4956.jpg

IMG_4958.jpg

IMG_4960.jpg

IMG_4961.jpg


愛知県新城市にある断上山10号墳です。

戦国時代の長篠の戦いの時、徳川家康が陣地を構えた場所の近くにあります。

神社の裏の丘陵の、深い林の中にあります。

墳丘の残り具合はとても良く、これほど前方後方墳が残っているとは思っていませんでした。


断上山古墳群は1号墳から8号墳まで後期の小円墳だそうです。

9号墳は愛知県史によると方墳、10号墳は墳丘長50メートルを測る前方後方墳で2基とも前期の古墳です。

方墳と前方後方墳という組み合わせは豊橋市の北長尾8号墳(前方後方墳)と北長尾7号墳(方墳、採土により消滅)にも見られるそうです。

主体部の調査は行われていません。



今回の東三河の前期古墳探訪はこれで終りです。

東三河の古墳というと馬越長火塚古墳(後期、墳丘長64メートルの前方後円墳)、船山1号墳(中期、墳丘長94メートルの前方後円墳)が有名ですが、前期にも古墳を築成する文化があったことがよくわかりました。




名称:断上山10号墳
所在地:愛知県新城市竹広字宮川
形状:前方後方墳
規模:
墳丘長50m、後方部長30m、高さ6m。、前方部長20m、幅14m、高さ1.5m。
築造年代:前期
主体部:未調査
出土品:


〈参考〉
前方後円墳集成 中部編
企画展 三河の古墳
愛知県史
とよはしの歴史





より大きな地図で 断上山10号墳 を表示


にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキングへ



市杵島神社古墳 豊橋市の古墳7

  • 2012/03/06 06:09
  • Category: 古墳
IMG_4977.jpg

IMG_4981.jpg



愛知県豊橋市にある市杵島神社古墳です。

以前くびれ部が調査されましたが、今は埋め戻されてしまって古墳の姿を見ることはできません。

豊橋市で二番目に古い古墳であると言われています。

豊橋市の他の前期古墳とはかなり離れた海の近くにあります。





名称:市杵島(いちきしま)神社古墳
所在地:愛知県豊橋市牟呂町市場
形状:前方後方墳
規模:
墳丘長55m、後方部長32.5m、高さ5m。、前方部長23m、高さ1.5m。
築造年代:3世紀末
主体部:未調査
出土品:単純口縁壺、二重口縁壺、鉢、高坏、台付甕



〈参考〉
前方後円墳集成 中部編
企画展 三河の古墳
愛知県史
とよはしの歴史







より大きな地図で 市杵島神社古墳 を表示





にほんブログ村 歴史ブログへ

人気ブログランキングへ

Pagination

Utility

プロフィール

Author:☆ぐっさん
古墳や古墳時代を探求することを楽しんでいます。

カテゴリ